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眠る

最近とても眠い。

すんごい変則的な生活のためか寝ても寝ても

疲れとれてもすぐ眠くなって

5年間使い続けた携帯電話みたいになってます。

動いたらすぐ充電してって感じです。

体力つけなきゃね。

けど今の生活たのしいわ。

いらんこと考える時間あったらなんか新しい事考えなきゃって回路になってるのさ

ふと

Excuse me,could you tell me way to the subway station?

Do you know many other Swahili words?

It is dificult for me to understand your question.

さて、数ある英文法の例文で、必ずあった暗唱会。忘れられずにまだ覚えてたりする。その代表的なのがこの三つ。…決して実用的に使いやすくはない(;^_^A

日本人特有って言われた愛想笑いが嫌で、分からない時・真剣な時といい眉間に皺寄せて話したっけ。
可愛い真っ盛りの中学時代は英語劇部(o^o^o)都大会狙って台詞一生懸命覚えたなぁ。
劇が終われば感動の涙。
特別賞受賞で涙。
黒人役の時は、素が青白いだけあってなのか別人になっちゃって。
お婆ちゃん役の時は白髪頭がよく似合うって喜べない誉め言葉をかけられて。
“We are the world”の大合唱の練習に、長い廊下を使って叫んだんだ。
きっと大声で綺麗な発音出来る人って少ない。
括弧は埋められるのに、声に出せない人のが多いんだ。よく話す人はスペルを忘れやすかったりね。

特に何が言いたいわけでもないんだけど…ふと懐かしくなる。一生懸命ノート作りして、暗唱するともらえるシール集めて、部活のある放課後が好きでよく残り、ALTを前におじ気付く友達を忘れ、昼休みに職員室まで行ったり…あの時はあの時で輝いてたんだろうなぁ。何色だったのかなぁ morinblogの日記

おばあちゃんとスペースシャトル

今日は私の大好きだったおばあちゃんの思い出をひとつ。

今は亡きおばあちゃんは、とってもユーモアのある人だった。隣の家に住んでいたので、子どものころは、親に叱られるとよく隣に逃げた。そこでぬくぬくとお菓子をもらったり、果物をもらったりするうちに、一体なんで親に叱られたのかを忘れ、また繰り返すことになるのだ。

おばあちゃんの名前は「とみい」という不思議な名前だった。なんでも、当時の役場では口頭で伝えただけだったので、「とみえ」だったはずが「とみい」で登録されてしまったらしい。

しかしこの名前、文字で書けば日本人であるとわかるのだが、小学生の頃の私の友達には、音だけで「トミーだなんて、おまえんちのばあちゃんは外人か?」とからかわれた。

そんなある夏の日。日本の上空をスペースシャトルが飛ぶ、というニュースがながれた。肉眼でも十分にスペースシャトルの光が見えるという。私は弟とおばあちゃんと、自宅の庭でその時間になるのを心待ちしていた。

「あっ!あれじゃない?」

どこか流れ星のように暗い夜空をすすんでいくスペースシャトルを指差して、私と弟は手をたたいて喜んだ。

「おばあちゃん、見えた?!あれがスペースシャトルだよ!!!」

と興奮する私に、おばあちゃんは

「おーおー、見えた!やっぱり先がとんがってる!」

それを聞いた私と弟は顔を見合わせ、「・・・・・・・・・」状態になった。

でももしかしたら、本当におばあちゃんには先がとがっているスペースシャトルが見えたのかもしれない。今もスペースシャトルのニュースが流れると、先がとがってる!と言ったおばあちゃんとの夏の一夜を思い出す。

黄色いヘアカーラー

私にとって大の苦手なことは「朝早く起きること」。早く寝ようが、遅く寝ようが、布団のヌクヌクから体を出すのを、1分でも先延ばしにしたい、と思う人間である。

ところが、ある朝私は珍しく自然と目がさめ、なぜかすぐに服を着替えた。”早く起きるって、こんなに出勤前に心のゆとりができることだったんだー”と、普段感じたことのない思いにひたっていた。

”そうだ、せっかく早く起きたんだから、たまには前髪をかわいくしてみよう!”

これがそもそもの間違いのもとだった。私は大きめで黄色いカーラーを1つ、前髪にクルンとまいた。おでこの上にカーラーをまいたまま、私はゆっくり朝食をとったり、新聞を読んだり。そんなくつろぎをしているうちに、気づけばいつもの通勤電車ギリギリに!

”うわ~、いそげーーーー”

とドタバタと自宅をでた。すると、道行く人、道行く人、誰もが私のことをじーっと見つめてくる。”あー、やっぱり前髪をかわいくしただけで、こんなに世間の人って見るんだ。”

と嬉しくなっていた私。ずいぶんたってから、ふっと前髪をかきあげようとした瞬間だった。ゴチン。と手に硬いものがさわった。

”えーーーーー!カーラーついたままだった!取り忘れてた!”

誰もが私のことを見ていた真相がこのときようやくわかった。そして同時に、

”どうして誰も、カーラーつけたままになってませんか?”と聞いてくれないんだろう”

と思った。やはり都会の人間は冷たい。そう思ったカーラー事件だった。

ボヤ騒動

私が生まれてはじめて海外旅行をしたのは、ヨーロッパのスペインだった。飛行機の窓からピレネー山脈を見たときの興奮たるや、今もわすれていない。

私は初めての海外旅行にむけ、今思うと必要のない物、”万が一使うかもしれない”という品々を色々持ち込んでいた。その一つがお湯沸かし機だった。

これはU型磁石のような格好をしていて、コップのふちにひっかけることで、中の水がぶくぶくと伝導の熱でわかせる、という代物だった。

セビリアのホテルで、私は一人だった。”外国のホテルって、映画で見るようだな~”

そこ室内でくつろぐ私は、コーヒーが飲みたくなった。そこで例のU型お湯沸し機をひっぱりだし、コップに水を入れて淵にひっかけた。”どうせ沸くまで時間がかかるのだろう”と、私はメイクを落としに洗面台へとむかった。

”あ~、早くコーヒーを飲みたいな~”

と、洗面所のドアを開けると、なんと部屋中が白い煙で充満しているではないか!

”きゃー!!”見ると、あのU型マシーンがコップからコロリと転がって落ち、そのまま白い机の表面を燃やしていた。”あぎゃ~、火災報知器がなったらどうしよう!!!”私はもう慌てふためき窓をあけ、ベッドの上にあった毛布でバッサバッサと煙を外にだそうとした。

幸い、警報機は鳴らなかった。でも・・・・・白木の机の表面は、無残に黒くやけこげていた。”うっ、うっ、どうしたらいいの。こんな誰もしらない国で。訴えられちゃうのかな?逮捕されちゃうのかな?”とにかく気が動転していた私。

でも、人間どたんばになると、火事場のバカ力ではないが、”なんとかせねば!”という知恵が働くものだ。私はなんと、この旅に「白い修正ペン」を持参していた。

私は椅子にこしかけ、2時間かけて白い机の表面にできた、黒い焼けコゲ部分をひたすら修正ペンで塗り続けた。”ふ~、我ながら素晴らしい!”

翌日ドキドキしながらチェックアウトした。その後も今に至るまで、スペインからは何の連絡もこないところをみると、まあ、なんとかなったのだろう。

でも、まさか”万が一使うかもしれない”という品を、本当に使うことになるとは、思ってもみなかった。

車の免許とヘルメットおじさん

ある日、父が私に言った。「おまえは、一生教習所に行ってるつもりか!!!」さすがに、春がすぎ、夏になり、秋になっても車の免許をとるために、教習所に通う娘に苛立ちがかくせなくなったようだ。

最終的に私が免許を取るまでにかかったのは10ヶ月。もちろん頻繁に通っていたのに、だ。当然受講印を押す紙は足りなくなり、どんどん予備紙がセロテープでつながっていった。もはや教官も事務の人も、近所のおじさん、おばさんのように顔見知りになっていた。

車の免許は仮免許がとれてから、残り半年で本免許を取得しなければならない。私はその期限が残り一週間に迫った段階で、最後の路上テストをなんとかパスさせていただいた、という感じだった。

教官は私がようやく免許をとったというのに、「あんた、いつか新聞にのっちゃうかもね(事故をおこしてという意味)」という不吉なお祝いの言葉?を私にくれた。事務のおばちゃんは私の手をにぎり「よかったわねー、ようやく取れて。本当に時間もお金もかかったわね~」と言っておくりだしてくれた。

でも、私はむっとするどころか、10ヶ月かかってようやく免許がとれた感動で、どんな言葉もお祝いの言葉にしか聞こえないような状態だった。

自宅にもどり、まず何をしたか。それはもちろん初乗りだ。私はノロノロと駐車場をでて、とにかく自分が迷子になっても自宅に戻れるであろう道を車で進んだ。

教習所の周辺とちがい、知っている場所を歩くでもなく、自転車でもなく、車で走っていることにいたく感動した。”なんか、自分が数段大人になったような気分だ”

・・・・・ところが、ガックン!ガックン!よりによって、交差点を右折しようとしたど真ん中で車はエンストした。しばらくは前の車も、左右の車も見守ってくれていたが、相変わらず、ガックン!ガックン!エンストしまくっている私に、四方八方からクラクションががなりだした。

うえ~ん!!!焦れば焦るほど、私はエンストの嵐となり、車はガンとして動かない。”初乗りには、誰か助手席に乗せればよかった・・・” 相変わらず交差点の真ん中に留まっている私の前に、突如そばで道路工事をしていた黄色いヘルメットのおじちゃんが現れて、なんと交通整理をはじめてくれた。”あー、今この場に私の味方が一人いる” そう思ったら心にゆとりができ、ようやく車を動かせることができた。私はノロノロと右折した。

”ありがとう~、ヘルメットのおじちゃん!”世の中には本当に心ある人がいるものだ。私はさっきまで真っ青になっていた自分を忘れ、心が春の陽だまりのようになりながら、再び初乗りを楽しんだのだった。

結婚式にて。あなた、どなた?

私がこれまで失敗を繰り広げてきて、もっとも知らない人に笑われた経験をご紹介しよう。

その日、私は高校時代の友人の結婚式に参列することになっていた。いつも待ち合わせにはギリギリに到着しがちな私。このときも、準備に手間取り、ややあせりながら式場にむかった。”なんとか開始には間に合いそうだ!”私はほっとしながら、息切れをしたまま受付にたどりついた。

すると、若い女の人と男の人がうやうやしく頭を下げ、私に「お名前を」と言った。私が自分の名前を告げると、女性はリストに並ぶたくさんの氏名に目をとおし、眉をひそめながら、「あのー、お名前がないようなのですが・・」と言うではないか。私はその言葉が信じられず、半ば”何いってんの、この人”といわんばかりに「はがきももらいましたし、ちゃんと出席に丸してだしました!」と言った。

受付の女性は、下を向き氏名の名前をまだ探しながら、「失礼ですが、田中家と山田家と、どちらのご関係でしょうか?」と尋ねてきた。その言葉を聞いた瞬間私の頭の中は????となった。「え?!どっちも知りません・・・・・」そう、何を隠そう、私の友人の名前はそのどちらでもなかった。私のまわりにいた、田中家と山田家の本当の招待客が、どーっと笑った。ちっ!私はなんてバカなんだろう。急いで式場に入り、最初に目にとびこんできた受付にまっしぐらに来てしまったようだ。何事も確認、確認。でもそれを怠るから、いつも私はさまざまなヘマをしでかす。

シンガポール半日観光②

(昨日の続き)

午後になって、再度シンガポール半日観光に参加することになった私。もちろん、午後の観光のためにバスに乗り合わせた外人はみな午前中とはメンバーは違うし、バスガイドさんも幸い違う人だった。”ふー、私のことを知っている人がいないから、気が楽だ!”

一箇所目は、もちろん観光バスに置き去りにされたインド人街。私は午前中、お世話になったシンガポールのおじいさんに出会えたら、一言お礼を言いたかった。しかし、残念ながらチラシを配っていたあの場所に、もうおじいさんの姿はなかった。”でも、このご恩はきっと忘れない。”

二箇所目は中国人街だった。雑多なざわめきと人の多さ。さらにマーライオン・・・と名所を5箇所まわる半日コースを、午前中とはうってかわって私はスムーズにこなすことができた。その理由は、なんと”バスガイドのおじさんにくっつきまわること”

今度こそ迷子になってられないと、私はことごとく自由行動中はガイドのおじさんの横、後ろとくっつきまわった。それはおじさんが休憩をしてジュースをベンチで飲んでいるときも。かたときも離れないようにした。さすがにおじさんも、私のネバネバ行動に辟易したのか、

「ねえ、あんた!シンガポールの観光にせっかくきてるんだから、ちょっとは自由に見てきなよ!なんでいつも私にくっついてくるの?!」

そう、何を隠そう私はシンガポール半日観光をやり遂げたものの、ほとんど記憶に残っているのはバスガイドのおじさんの背中や横顔、緑の服ばかり。肝心のシンガポールの美しさをこの目にとどめることなく、半日観光を終えたのだった。

でも、景色は心に残ってなくても、あの迷子になったときのおじいさんの優しさだけは今なお旅の思い出としてくっきり残っている。

シンガポール半日観光①

「今、シンガポール航空のチケットを購入した人は、特製バックとシンガポール半日観光がついてくる!」その言葉に誘われ、私は女一人旅をすることにした。

海外旅行でヨーロッパまでいくのに比べたら、シンガポールなんてあっという間だ。私は着いた翌日に半日観光を予約し、自分の自宅とはまるで異なる別世界のホテルの部屋でくつろぎまくっていた。

翌朝、ビーーーーン!枕元の電話がけたたましくなった。私は寝起きがよくない。「ハロー?」とでると、フロントが「今日、シンガポール半日観光をされますよね。8時にはロビーにおこしください」「はーい」と電話をきり、時計を見る。”まだ8時には時間があるじゃんか”

私は再びしばしの眠りについた。すると再びビーーーーーン!と電話が鳴った。今度はフロントのおじさんはやや早口に私にいった。「どうしたんです?8時ですよ!早くきてください。」私は「え?まだ8時には時間があるじゃないですか?」と言った瞬間だった。

「あなた、もしかして時計の時刻をなおしてませんね!ここはシンガポールです!時差があるんですよ!!」「・・・・・・」そうだった。私は枕の脇においた時差をなおしていない自分の腕時計をさきほどから眺めていたのだ。

それからは、消防隊にでも加われそうな勢いで服をを着替え、メイクをし、持ち物をつかんでバッタバタバタとロビーに走った。

すでに大型バスがホテルの前でたくさんの外国人を乗せ、待っていた。”sorry sorry”と腰をかがめて謝りながら乗車する私を、どの外人も冷たい視線で見、無視した。きっと誰もが”このジャパニーズ一人のために出発を延々と待たされたのか”と思っているに違いない。

私が乗り込んだバスは、とりあえず一箇所目の観光地、インド人街にたどりついた。ここで10分ほど停車し、周辺のインドの織物などを自由に買い物できるという。私はこういうとき、自分が迷子になりやすい性質であることをよくしっている。そのときのために、バスにのっている人のなかで、もっとも目立つ人、太ったピンクのワンピースの西洋人を目印にすることにした。彼女を常に視界にいれていれば、必ずバスに戻ってくることができる。

しばらくは私の視界に彼女は入っていた。しかし・・・・インドの多様な織物を眺め、買おうかどうか迷っているうちに、気づけばピンクのデブちゃんは私の周囲からいなくなっていた。”えー!今度バスに乗り遅れたら、朝の気まずさの繰り返しだ!!”

私はバスの止まっていたあたりに戻った。ない!似たバスに駆け寄るが、ちがう。同じような場所をグルグル走り回り、観光バスを探す私。どうやらバスは見学時間10分が経過した時点で、容赦なく私を置き去りにし、次の観光地にいってしまったようだ。

複雑な気持だった。観光バスに置き去りにされた悲しさと同時に、あのバスに再び”sorry sorry”と言いながら乗らずにすんだからだ。

すると、同じ場所をグルグル走り回る私に、街頭でチラシを配っていたおじいさんがよってきた。「どうしたんだい?」「迷子になりました。のっていた観光バスが行ってしまったんです。」とやや半泣きで伝えた。

おじいさんは、私を突如公衆電話のある場所までつれていった。そこにはすでに3,4人が電話をかけるために並んでいた。”おじいさんは何をするんだろう?”と思っていると、「すみませんが、この日本人の女の子は迷子になってしまったらしい。みなさん、彼女がバス会社に連絡を早くできるよう、早く電話をかけさせてあげてくれまいか」

なんと、みなさんは私にどうぞ、どうぞと順番をゆずってくれたのだ。しかも、おじいさんは電話に自分の財布からコインをいくつかいれたのだった。私はとにかくバス会社に連絡をし、一箇所目で迷子になり、バスにおき去られたことを告げると、「ホテルに一度もどって、午後の半日観光に再び参加してください」といわれた。

すぐに私はそのことをチラシ配りのおじいさんに伝え、電話代のコインを返そうとすると、「シンガポール人は、悪い人ばかりじゃない。またこの国にきなさいよ」と言いながらタクシーを呼びとめ、中に私を押し込んだ。

「おじーさーん!」私は両腕をちぎれんばかりにタクシーの中から振った。ありがたかった。こうして知らぬ町で親切な人に出会えたことが。そしてホテルに戻った私は、再び午後から半日観光のバスに乗り込み、あのインド人街に行くことになるのだった。(明日につづく)